「新聞の香り」

共同通信社和歌山支局長・清水昭範

 「通信社」。最近はかなり通じるが、駆け出しのころは、取材相手から電気屋やチケット販売会社とよく間違われた。紙面がないのを嘆いたこともあったが、通信社の記事は全国の新聞、放送局で使われる。うまく書けると多数の新聞に掲載され、通信社ならではの醍醐味もある。

 紙面を持たない通信社に勤務して長いが、個人的には新聞のインクの香りに郷愁を誘われる。昔話になるが、高校では部活動として新聞部に所属していた。部員4人が年に2回ばかり、全校生徒向けに4面の新聞を発行した。パソコンどころかワープロもない。マス目の入ったざら紙に鉛筆で殴り書き。締め切り日に原稿の束と、紙面のレイアウトを書いた大判紙を印刷会社に持ち込む。ゲラが上がるとまた電車で出かけて行く。鉛の活字を使った活版印刷。作業部屋にはインクの香りが満ちている。赤鉛筆で記事を修訂正すると、よく文字数が合わなくなり慌てた。作業が終わるころにはみな両手がインクだらけだった。

 新聞の香りで思い出す話がある。記事で読んだのだが、2018年7月に盛岡市で開かれたNIE全国大会で、明治大の斎藤孝教授が「新聞力と復興」をテーマに講演された。「災害で大事なのは経験の共有」だとし、被害の切実さを感じることができれば、防災の動機づけになり、社会の「耐震性」が増す。新聞はいろんな経験を共有する基盤になると話した。興味を引いたのは、経験の共有のために新聞の切り抜きが有効だと続いたからだ。切り抜きだと、インクの匂いから手触りまで五感を使うので内容が体に刻まれる。これに反してデジタルはネットの画面でさらっと読むだけで、すぐに忘れてしまう、という内容だった。

 記事が記憶に残ったのは、当時、岡山で水害と苦闘していたこともある。7月1日に岡山支局に赴任した直後、大雨が降り始めた。倉敷市真備町で川の堤防が決壊、住宅街が一面で水没し、住民50人超が犠牲となった。西日本豪雨だ。全国から応援の記者が次々と現地入りしてきた。支局長として前線基地の開設やら、ホテルの確保、ハイヤーの手配など事務作業に忙殺された。 

 そんな繁忙状態の合間を縫って、短時間ながら定期的に地元民放ラジオ局番組に出演していた。出演時間になると支局の電話をスタジオとつないでもらい、アナウンサーと掛け合いで話す。話題は自然と西日本豪雨の被災になる。仮設住宅、全国からやってきたボランティアの活動ぶりや災害ゴミの処理問題などを報告した。

 発災から時間がたつとボランティアの数は減り、紙面も落ち着いてくる。それでも「被災の記憶を風化させない」と記念碑の建立に取り組む話を取り上げる。浸水高を示す約5メートルの竹を集会所に立てたり、病院のエントランスホールの柱には到達水位の約3・3メートルに線が引かれたりした。ただ真備町は過去にも同様の大水害に見舞われていた。当時の被災者らは将来への警告として水害の碑をいくつも残していたが、時間の経過とともに忘れ去られていた。経験の共有は難しい。

 これまで国内外を転々として、災害大国日本を感じることが多かった。神戸・淡路大震災で実家が半壊状態に。仙台支社の編集デスクとして宮城・岩手内陸地震を経験し、その仙台を離れた2年後に東日本大震災が起きた。11年に支局長で赴任した宮崎では霧島連山・新燃岳が噴火していた。

 昨年9月に和歌山支局に着任した。和歌山も防災への取り組みが大きなテーマだ。さて新聞の切り抜きはまだ有効だろうか。ニュースをパソコンやスマホの画面でチェックすることが増え、記事はデータでも保存できる。今のところ若い記者らは電子新聞だけで良いとは言っていないので救われている。いや、そんなことより切り抜いてもらえる記事を出すのが先だった。

「新聞の香り」清水昭範・共同通信社和歌山支局長【2023年4月】

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