「新聞を開くことから始まる私の一日…」

紀の川市立西貴志小学校長・今田一里

 小学校の頃、毎朝、郵便受けに新聞を取りに行くことが私の日課でした。
 その頃、私にとって新聞は、丸めてボールにしたり、剣をつくってチャンバラごっこをしたり…、テレビゲームがなかった時代、もっぱら遊ぶモノの一つでした。
 いつものように新聞紙で遊んだ日の夜、父親にひどく叱られたことがありました。その日の新聞で遊んだためで、その時に、新聞は「読むもの」だと知ったように思います。新聞づくりに携わっているたくさんの方々には、本当に失礼な話です。しかし、新聞はいつも家族の身近にある存在でした。

 高度情報化社会とよばれる現在、インターネットが発達し、世界中の出来事を瞬時に手に入れることができますが、私は「紙」の新聞が好きです。
 新聞を一枚めくる度に見出しが目に飛び込んできて、紙面のレイアウトを見渡すと、どんな記事があるのかが一瞬で分かり、興味のない話題でも大きく取り上げられていると、読むきっかけになります。そして、その周辺の記事も読んでみたりもします。
 新聞をパラパラとめくり、見出しだけを見たり、じっくり読まなくても、文字面をなぞったりするだけのときもあります。
 何かを調べたり情報を得たりするためではなく、流し読みや飛ばし読みといったことが気軽にできることが新聞にあるのです。
 また、新聞には今日は何があるのかな…、といった、宝探しに似たワクワクする気持ちにさせてくれるものもあります。思いもよらない記事に出会ったとき、心がウキウキします。そんな魅力が新聞にはたくさんつまっているのです。

 昨今、家庭から新聞が消えつつあります。このような中で、NIEの取り組みには大きな意味があると思います。
 子どもたちは、新聞に対して、漢字が難しい、記事の内容が理解しにくいといったことがあるものの、基本的に興味を持っています。というのも、世の中で起こった様々な出来事が記事になっている「ナマモノ」であるからこそ、子どもたちの目が輝くのだと思います。しかし、「ナマモノ」であるゆえ、社会面や経済面、スポーツ面といった紙面には賞味期限があり、数日も経つとその内容が劣化しますが、新聞には、文化やくらし面といった賞味期限の長い内容もあります。このような賞味期限は、NIEの学習によって変わり、「ナマモノ」である記事の内容とともに、たくさんの魅力を引き出すものに変化するのです。
 新聞がいつも身近にあるといったかつての風景を取り戻すことはできないまでも、学校に行けば新聞がある、いつも教室に新聞がある、好きなときに新聞に触れることができる…、子どもたちの日常に、当たり前のように新聞があれば良いのにと思います。

 子どもの頃から郵便受けに新聞を取りに行く習慣は、大人になった今も続いています。毎朝、とりあえず新聞を広げてみる。さあ、私の一日の始まりです…。

「新聞を開くことから始まる私の一日…」今田一里・紀の川市立西貴志小学校長【2020年2月】

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