「目で耳で…指先で感じる新聞」
産経新聞和歌山支局長・小畑三秋
「新聞踏んだらあかんで」
幼い頃、父からそう言ってよく叱られた。印鑑や名刺の文字を書く仕事をしていた父にとって、文字の書かれている新聞を足で踏まれることが許せなかったようだ。
新聞を真面目に開くようになったのは、大学生になってから。大学の図書館の新聞閲覧室をのぞくと、全国紙や地元紙が大きな台に広げてあった。その様子は、「好きな時に読んでいいよ」という感じでなじみやすかった。
新聞といえば政治や経済、国際情勢など難しいイメージがあったが、意外に平易な日本語で書かれていることに驚いた。
易しいように思えた新聞の日本語に、厳格な決まり事があることを知ったのは、新聞記者になってからだ。「て」「に」「を」「は」のたった1文字でも使い方を間違えば、人の一生を左右しかねないことを、たたき込まれた。
交通事故の記事は、新聞で毎日のように報じられる。30年近く前の新米記者のころ、車同士の衝突事故の記事を書いた。交差点で、大型ダンプと軽乗用車が衝突し、軽乗用車の母と子が亡くなった。原稿では、「大型ダンプが、軽乗用車に衝突。親子2人死亡」と書いた。
すると、デスクから猛烈に怒られた。「大型ダンプが主語になっているが、これなら大型ダンプが悪いことになる。こう言い切れるのか」と。大型ダンプと、親子が乗った軽乗用車――。犠牲になった母子のことを思うと、大型ダンプが〝走る凶器〟に思える。
しかし、事故原因の究明には、当時の信号機の状況などをしっかり確認しなければいけない。この事故の記事では、「大型ダンプ『が』ではなく、大型ダンプ『と』軽乗用車『が』交差点で衝突」と書かないと、公平で客観的ではないと指導された。
「が」と「と」のわずか1文字の違いで、事故原因が真逆になり、運転手の刑事処分や今後の補償問題に大きくかかわる。
助詞一つの重さ、言葉のこわさを常に考えながら記事は成り立っている。学校の授業で、日本語の難しさをもっと聞いておけばと後悔したものだ。
「NIE」という言葉は、私が小中学校だった40年以上前は聞いたこともなかった。新聞を素材にした授業もほとんどなかった。ただし一つだけ、中学1年生の頃に読んだ新聞記事を覚えている。日本が東南アジアの国と原油の調達で合意したというニュースだ。社会科の授業で、前日の一面トップの記事を発表することになっており、記事をカッターで切り抜いてノートに張り、重要な箇所を赤線で引いた。
なぜこんな堅苦しい記事を覚えているのか、今回の原稿を書くにあたって考えてみた。まず、新聞を読む時にはバリバリと音を立てながら紙面を開く。記事の切り抜きの際は、カッターを定規に当てて指を切らないよう慎重に刃を滑らせる。ノートに張る時も、指先はノリでベチャベチャになる。
今、小中学校では、記事の切り抜きの授業が盛んに行われている。単純な作業のようだが、新聞を開く時の音、指先の感覚など五感を働かせる作業だ。そして、みんなの前で発表するという緊張感が加わる。こうした体験こそが、何十年たっても記憶として残るのではないだろうか。
印刷工場で刷り上がったばかりの新聞は、インクのにおいが漂い、少し温かく、ふんわりとした感触がある。新聞記者になって初めて知ったことだ。新聞は、記事の内容にとどまらず、五感を通していろんなことを伝えてくれる。