「広げたい!新聞に親しむ学校教員の輪」

和歌山大学教職大学院准教授 須佐 宏

 私は毎朝必ず新聞に目を通す。いつからだろうか。
小学生の頃、小学生新聞を手に取って読んでいた記憶がある。それは、「小学生」と冠をつけられた新聞の対象者であった私の「義務」だったような気がする。

しかし、それとは別に「大人の新聞」で当時から私が「自ら進んで」目を通していたものが2つある。ひとつはテレビ欄。テレビ好きであった私は、欠かさずその日のテレビ番組をチェックしていた。そして、もうひとつはスポーツ欄。こちらは大好きな阪神タイガースの試合結果を確かめるためである。前夜にテレビで見て結果は知っているのだが、活躍選手の写真と一緒に書かれた記事と選手データを必ずチェックをしていた。

それから十数年。大学を卒業した私は、二十三歳で初めて家を出た。田辺市の小学校教員として採用されることになったからであった。住み慣れた和歌山市を離れての一人暮らし。その時、初めて自分でお金を払って新聞を買った。すでに成人はしてはいたが、なんだかちょっと大人になった気がしたものだ。

小学校で高学年を受け持つようになったとき、自分が気に入った新聞記事を切り抜いてノートに貼り、その記事の紹介と自身の感想をリレー形式で毎日コメントしていく「新聞スピーチ」という課題を出した。当時は「NIE」という言葉も知らず、ただ、高学年の児童であれば、社会や身の回りの出来事に目を向けてほしいし、子供たちがどんな記事をピックアップしてくるのかが楽しみという理由で始めたものであった。幸い、当時は新聞を購読している家庭が今よりもずっと多く、田辺市は地方紙・紀伊民報の普及率が高い地域でもあったため、家庭の協力も得やすく、高学年を受け持った時は必ず行っていた。

「総合的な学習の時間」が教育課程に位置づけられるようになってからは、新聞づくりに力を入れるようになった。紀伊民報社や毎日新聞社、和歌山市内の地方新聞社などの協力を得て、子供たちが取材交渉から現地取材、記事作成、レイアウトまでをする「ほんまもんの活字新聞」づくりにも挑戦してきた。

学校教員である私にとって新聞は「教材の宝庫」でもあった。新聞には学習内容に関連する記事がタイムリーに掲載されることが思いのほか多い。新聞の持っている「活字の力」はとても大きく、学習内容と新聞記事の時事ネタをリンクさせることで児童の興味・関心が一気に高まるということを知った私は、常に授業につながるネタはないかという視点で新聞を読んでいたように思う。

思えば、私はずっと新聞に親しみながら過ごしてきた。現在、私が関わっている院生や和歌山市の初任者のほとんどは20代半ば。私が初めて自費で新聞購読を始めた頃と同じだ。彼らには、新聞の有用性を毎年語っている。ある院生が「教材の宝庫」という私の言葉を受け止めてくれ、新聞記事のスクラップを作り始めた。彼はもう1年以上それを続けており、新聞に親しむことを常としている教員が一人誕生しそうである。また、初任者の一人は、「先生、毎月の購読料っていくらぐらいするんですか。」と尋ねてきた。脈ありである。彼らの言動に一喜一憂しながら、新聞に親しむ学校教員の輪を地道に広げていきたいと思う今日この頃である。

「広げたい!新聞に親しむ学校教員の輪」須佐 宏・和歌山大学教職大学院准教授【2018年12月】

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