「新聞は信頼されているか」

朝日新聞和歌山総局長 武部真明

 最近、中学生と新聞について語り合う機会がありました。そこでのやりとりを通じ、考えさせられたことがあります。それは、「ほんとうに新聞は信頼されているのか」。

 その日の朝刊をぱらぱらめくりながら、新聞ができるまでの流れなどをひととおり説明した後、「わからないことがあれば、何でも聞いていいよ」と言ったところ、中学生のひとりが手を挙げました。そして、「どうして『朝日新聞』というんですか」。
 恥ずかしながら、ぼくは社名の由来を知りませんでした。「朝日新聞社史」を開いて調べ始めたら、すぐに「わかりました」と別の中学生。「『朝鮮』と『日本』の略です」
 「違うよ、それは」。思わず大声を出してしまいました。「でも、ここに書いてあります」と、その中学生はスマホの画面を示しました。「由来メモ」というネットのサイトに、「『朝日新聞』の由来」という項目があり、そこに「その名前の由来は、朝鮮と日本の略なのか?」と書かれていました。「誰が書いたのかもわからないようなサイトを簡単に信じちゃだめだ」。中学生たちは固まっていたので、たぶん、怖い表情で迫ったのでしょう。落ち着いてよく読めば、「そんなことは勿論無いわけだが」と続いていたのですが。

 そこで中学生たちに、あらためて説明しました。――――ネットはお手軽で無料だけれど、個人的な意見かもしれないし、信頼度はいろいろ。でも新聞は、正確な記事を書くために、記者が現場に行って自分の目で見て、本人に会って自分の耳で聞いて、それができないときは役所や警察、専門家といった信頼できる人に確かめて記事を書き、それをデスクがチェックして、本社で編集者がチェックし、さらに校閲がチェックすることで、正確で信頼できる情報を読者に届けている――――
 こう中学生に語りかけながら、心の隅で「ほんとうにそうなのか」と自問自答していました。いま我々が日々作っている新聞は、子どもたちに教材として使ってもらえるだけの信頼性がある、と胸を張って言えるのか…………。

 ネットを使えば、だれでも手軽に情報を手に入れ、そして発信もできる時代。いまこそ、新聞は「信頼できる情報源」としての役割が求められている、ということをかみしめなければなりません。それができているのかどうか、若干の後ろめたさをぬぐいきれませんでした。
 それを打ち消すかのように、帰り際、中学生たちに記事のコピーをプレゼントしました。産経新聞の「新聞紙で窓も食器もピカピカ」(2018年10月15日付)。新聞紙をぬらして拭くとインクの成分で汚れがよく落ちる、など「読む」以外の新聞紙の活用法が紹介されている記事です。「新聞は役に立つんだよ」という言葉を添えて。

 ちなみに、「朝日新聞」の由来は、140年前に初代主幹津田貞が記した創刊のあいさつ「朝日の光り落ちず大八洲の隅々までも至り及ばんことを願う」、つまり「朝の太陽の光が国のすみずみまで照らすように、真実の報道をとおして、世の中に尽くしたい」ということだそうです。

「新聞は信頼されているか」武部真明・朝日新聞和歌山総局長【2018年11月】

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