「網棚の新聞に手を」

朝日新聞和歌山総局長
中谷 和司

 昭和50年代半ば。私は奈良の冴えない男子高校生だった。下校時、電車に乗ると網棚のあちこちに読み捨てられた新聞が残っていた。一般紙もあれば、阪神一色のスポーツ紙、関西特有のコテコテの夕刊紙……。決して褒められたことではないが、そんな網棚の新聞を見つけては〝回収〟して自宅に持ち帰り、読みふけるのが日課だった。

 当時、自宅で購読していたのは読売新聞。巨人中心の紙面に何の疑問も抱いていなかったが、新聞によってニュースの扱いや評価が異なることを知ったのはこのときだ。もともとスポーツ記事が好きなだけで、政治や社会の問題にさほど関心があったわけではない。だが、多種多様な新聞を眺めているうちに自然と興味を抱くようになった。突っ込みどころ満載の人生相談や読者の投稿に「へぇー」と驚き、人には様々な価値観があることに気付かされた。

 正直に言うと、網棚で見つけ、一番うれしかったのは娯楽色の強い夕刊紙。今ではすっかり姿を消したが、ヤクザの抗争やプロレスを一面でおどろおどろしく扱っており、性風俗情報など大人のページも。未知の世界をのぞく心持ちで、ドキドキしながらこっそり読んだものだ。

 この経験のせいか、大学生になって一人暮らしを始めても新聞は欠かせない存在となった。安アパートにはテレビも電話もなかったが、食費や銭湯に行く回数をケチっても、新聞だけは手元にないと落ち着かなかった。私にとって新聞はエンターテインメントそのもの、そして社会の森羅万象を教えてくれる「教科書」でもあった。

 そんな私が新聞社に勤め、30年がたつ。車内で新聞を広げるサラリーマンはめっきり減り、若者はスマホをいじってばかり。数年前、母校の大学で講義をした際、教室の100人超の学生に「新聞を毎日読んでいる人は手を挙げてみて」と尋ねたところ、わずか1人だけだった。今や新聞を購読していない家庭も珍しくない、ときく。 「これも時代の流れかな……」と半ば諦めつつも、気にいらない相手には徹底的に批判・攻撃を浴びせ、罵詈雑言が飛び交うインターネット上の発信を見ていると、社会全体に寛容心が薄れ、ギスギスしてきたように感じてならない。言うまでもなく新聞は言論機関として様々な問題で自らの立場を明確に主張する一方、自社と異なる見解や少数意見も取り上げて「議論の場」を提供する。これこそが民主主義社会における新聞の大切な役割だ。若い世代は、多様な価値観を尊重し、異なる意見にも耳を傾ける態度をぜひ新聞との接触を通して養ってほしいと願う。

 授業の教材に新聞を使うNIEの取り組みが県内各地で熱心に続いている。本当にありがたく、現場の先生方のご努力に頭の下がる思いだ。ただ、新聞を手にするのは授業のときだけ、あるいは受験・就活対策のときだけ、というのでは少々悲しい。

 今も私は電車内で読み終えた新聞を無意識に網棚に置いてしまう。もちろんマナーでいえば、「読み終えた新聞は持ち帰るか、駅のゴミ箱へ」が正しい。きっと車両清掃のスタッフにご迷惑もおかけしていることだろう。申し訳ない限りだ。ただ、昔の私のような若者が偶然、網棚の新聞に手を伸ばし、「新聞って、案外おもろいやん」と思ってくれたら、と淡い期待を抱いている。

「網棚の新聞に手を」中谷和司・朝日新聞和歌山総局長【2017年11月】

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