「高校野球報道にかかわって思うこと」
朝日新聞和歌山総局長・築島稔
今年はいつもと違った夏でした。新型コロナウイルスの影響で、全国高校野球選手権大会と49の地方大会が中止になりました。多くの球児の夢、「甲子園」への道が、試合する前から閉ざされてしまいました。大会を主催してきた日本高校野球連盟と朝日新聞社とが、安全と健康を最優先に考え、苦渋の決断をしました。
そうした中、和歌山県高校野球連盟をはじめとした関係者のご尽力で、独自大会を開いていただけました。改めて感謝申し上げます。和歌山の球児にとって、毎夏熱戦が繰り広げられる紀三井寺球場は「聖地」。締めくくりの試合ができたことは、生きる糧になっていくと思います。野球ができる幸せも、人一倍かみしめられたことでしょう。
前置きが長くなりましたが、今回は高校野球について、書かせていただきます。
入社してすでに26年。記者やデスクとして高校野球報道に携わってきました。最後までがんばった選手たちに光をあてたい、と思いながら報道を続けています。高校生にとって、新聞に自分が載るというのは特別な経験だと肝に銘じながらやってきました。
たとえば今年は、最後の打席で本塁打を打った敗戦チームの選手を新聞で紹介しました。泣きながら取材に応じてくれたお母さんは「新聞を買います」と言ってくれました。そんなとき、ふと自分の高校時代を思い出しました。
私は野球部員で、最後の夏の東東京大会は初戦で負けました。直接の取材はありませんでしたが、都内版には結果が載りました。「【左】築島410」。レフトで先発出場、4打数1安打0打点……。自分の成績も刻まれていました。
このころから新聞記者になろうとは考えていませんでした。新聞も熱心に読んでいたわけではありません。ただ、スポーツ面のプロ野球の記事を読むことから新聞を開き、そして自分のことが新聞に載るという貴重な体験をしたことで、新聞を少し身近なものに感じもしました。
総局長に赴任後、関係先の方と話す機会があったときのことです。その方は、ご自身が掲載された新聞を写真にとって、スマホに保存していました。お互い球児だったということから話が盛り上がり、見せてもらいました。その方も、そうして新聞を身近に感じてくれていたのです。
和歌山は「みかん、梅干し、高校野球」と別の方からうかがいました。それだけ高校野球が根付いているということなのでしょう。高校野球を報道することは、そうした関心に応えたい、という思いももちろんあります。
ただ、かつての赴任地では「なぜ高校野球だけこんなにとりあげるのだ」とご意見をいただくこともありました。そのときに私が答えていたのは「せめて野球だけでも」ということでした。
高校生に新聞を身近に感じてもらい、新聞を通じて社会との接点を広げてほしいのですが、残念ながら全員は取り上げられません。だからせめて野球だけでも取り上げることで、新聞が社会に対する窓口の一つだと高校生に思ってもらえれば、と考えているのです。
このコロナ禍で、野球が当たり前にできるということのすばらしさを選手たちは肌で感じられたと思います。高校生も社会の動きと無関係ではない、という経験が、新聞を開き、社会のことを考えるきっかけを少しでもつくることができれば、そんなにうれしいことはありません。