For whom the newspaper tells

和歌山市立教育研究所学力向上推進員・西川厚子

 橘 黄ばむ頃、一周忌の法要を終えてようやく母の箪笥に触れることができた。
そっと抽斗を引くと仄かに白檀が香り、馴染み深い衣類の隙間から中敷の新聞紙が覗いて見える。
変色したそれは、広げると乾いた淋しい音がした

 晩年の母の自慢は目と丈夫な歯だった。
 「眼鏡、掛けんでも新聞読めるし、焼肉、自分の歯で好きなだけ味わえる。有難い有難い。」が口癖だった。心臓を始め、幾度と 重ねた手術の所為で文字通り満身創痍だった母にとって、それらは天からの幸いなる賜物に思えたことだろう。
食卓に広げた新聞を、午前中、隅から隅まで読むのが日課なものだから、母はちょっとした時事通(つう)だった。日々「ながら」聞きする母の解説が、私の情報源であり、所謂クリティカルなものの見方・考え方の基であったと言っても過言ではない。
 その母が最も心寄せていたのが、闘病についての連載記事だった。よく紙面に向かって語りかけたり、時には切り抜いてノートに挟んだりしていたものだった。思えば、日中一人で過ごす母にとって、難病と闘い乗り越えようとする人々の生き様が綴られる紙面は、唯一家族以外の他者に共感し、労わり、勇気づけ合うことのできるコミュニティのようなものだったのかもしれない。

 新聞の日付けは、2017年9月25日(月)。
 スポーツ面だ。大見出しに、「日馬かける秋 逆転V」とある。「豪栄道」びいきだった母の嘆息が聞こえてきそうだ。
 この日この時、母は母の日常を確かに生きていた。新聞を通して社会の一員として知る喜びを堪能し、一人の人間として記事の一つ一つに喜びか憂いか、驚きなのか憤りなのか、今となっては分かち合うことは叶わないが、まちがなく心を動かして生きていたのだ。そう、時を経ても新聞は、人の、母の生をこれほど鮮やかに立ち上がらせる。色褪せても、決して枯れた古紙にはならないのだと気付く。

 新聞は、日々、世のさまざまな営みを伝える。政治、経済、社会、文化・芸術、医療、教育・・・人間の喜びや苦悩、栄光や破綻まで。忘れてならないのは、それを伝えるのも受け止めるのも、どちらも人だということだ。
 紙面では記者の顔は見えない。
 しかし、記者のものの見方・考え方は推し量ることができる。掴んだ情報をどう分析し、整理し、評し論じようとしているのか。記事には表情や性格、人間味があるとも言える。
 同様に、記者にも読者は見えない。
 見えない誰かに向かって、意志を持って記者は綴る。その向こう側にいるのは、知識欲旺盛な少年かもしれないし、活力に溢れた壮年かもしれない。あるいは、病床に伏す人、身体の不自由な人かもしれない。どのような人生を生きているのか、年齢や性別さえも知りえぬ出会うこともない個々に、等しく新聞は語るのだ。事実とその裏側の見得ない真実を。人の営みを、生き様を。
 世の中がいかに発展し変わろうとも、市井に生きる人々の心中に静かに息づく願いや思い、まことの心は変わらない。人が信念を持って発信しようとすることどもは、必ず人に通じ、その心を揺り動かすと信じている。母にとって、そうであったように。
 今日もきっと日本のあちらこちらで新聞を手に、胸に小さな、けれども暖かな灯火を点す人がいる。

「For whom the newspaper tells」西川厚子・和歌山市立教育研究所学力向上推進員【2019年2月】

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