「新聞コラムを読む」

共同通信社和歌山支局長・川田隆昭

 これが商売なので、新聞は基本的に毎日目を通す。どんなニュースがあるのかなと1面から順にめくって、おやっと思う見出しがあれば顔を近づけて読み始める。「アボカド品薄」とか、理由が知りたくなる生活ニュースが多い。大半は眺めるだけだが、1面のコラムは、だいたい読む。これは新聞記者になる前から習慣だった。

中学1年の担任は国語教諭で、クラスの生徒に新聞コラムのスクラップを課した。「どの新聞でもいい。毎日切り取ってノートに貼ってね。読んだ感想も書いたら百点」。ちょっとあこがれた女の先生だが、このときは「毎日だって。面倒くさ」だった。ここははっきり覚えているのに、その後どうしたかまったく記憶がない。
ついでにいうと、中学で入っていたバスケ部の指導は、初詣登山をする元日しか練習を休まない鬼監督。平日は朝、夕練習し、くたくたになった夜に切り抜いただろう。でもこれに続く記憶は部活が終わった3年の終わりごろ。きれいに貼り付け、時に書き込みまでしたノートが5冊以上あったこと。おや?

やっているうちに楽しくなったのだと思う。2年から担任も国語担当も代わり、課題じゃなくなったはずだから。でもおかげさまで今も、新聞は1面を眺めてコラムを読む。当時と違うのは、老眼と乱視がどんどん進み、ほかの記事はいくらも読まなくなったことか。
各紙とも1面のコラムは、それぞれの書き手が毎日懸命にひねり出す。下手なはずはないが、季節を上手に切り取り、自分の主張をふんわり載せた文章は、うまいなと思う。花や野菜、衣服の変化に今を見て、時事問題をからめる。そして読む人に「そうだよね」と言いたくなる視点を一つ。つかみのアイテムに名作の引用、落語や歌舞伎など古典の台詞を使うこともよくある。田舎の少年はそれを読み、寄席に行ってみたい、歌舞伎座ってどんなの?と都会に憧れた。

あんまり思い出話ばかり書いても仕方がない。せっかくだから新型コロナの話題で暗く覆われたここしばらくのコラムを見ておこう。長いトンネルの出口がちょっと見えるかなと思い始めた5月9日の全国紙から。
「母の月」を切り口にしたのは編集手帳(読売)。花のプレゼントを分散化するため業界団体が呼びかけた「コロナ対策」と説明、学校へ行けない子どもたちと家庭を思い、「感謝の思い出がたくさん残る母の月になるといい」とまとめた。
余録(毎日)は治療薬の特例承認を取り上げた。「さてこの薬」と歌舞伎の外郎売の口上から書き出し、早口言葉を6行も続けたのはちょっと長いが、江戸時代の薬売りから現代の治験へ話を切り替え、新薬は「慎重な使い方が求められる」と論を進める。なかなかダイナミックな起承転結で読ませる典型的な「引用型」の進行。
産経抄はPCR検査をめぐるインタビューが、逆のメッセージになったと訴える医師のブログを取り上げ「情報をゆがめては元も子もない」と、メディアに自省を促す内容。
私が一番興味深く読んだのは春秋(日経新聞)だった。感染拡大でロックダウン(都市閉鎖)となったタイのプーケット島で、オサガメの巣穴の確認が、ここ20年で最多だったという話題から、人間が自然にかける負荷を考え、「新しい生活様式」は感染対策にとどまらないかもと展開した。三段跳びの先にぽんと持ち出した文明論。そうだよなあと、読み返した。
1紙足りないよと、思っていませんか。天声人語(朝日)は新型コロナに触れず、亡くなったプロ野球阪神の元投手キーオの話題を取り上げた。私にとって事件を追いかけるのが忙しく、野球はほとんど見られなかった時期だが、やっぱり覚えている印象的な選手。密かに応援するヤクルトスワローズのバッターを、上手に交わして打たせない憎らしいひげ野郎だった。天人氏は、最下位続きの阪神で「負けても黙々と」投げていた姿を、本物のプロと追悼する。確かにそうですと心で合掌。こういうコラムもないと寂しい。

「新聞コラムを読む」川田隆昭・共同通信社和歌山支局長【2020年6月】

投稿ナビゲーション