「記者の面白さって」

毎日新聞和歌山支局長 麻生幸次郎

                                   
 今の立場になって、小中学校などで「出前授業」をさせていただく機会が結構ある。選挙や行政、事件取材に専ら携わってきた私は、海外の難民やメジャースポーツといった興味を引きそうな取材経験が乏しく、「新聞の作り方」や「記者の仕事」といったテーマで話すしかない。だが、子どもの心をつかむのはなかなか難しいことだ。

 編集者経験が長く話上手の先輩は、「昔話『桃太郎』に見出しをつけてみよう」と小学生に投げかけ、見事に興味を引いたという。その資料が支局に残っていたので真似してみようかとも考えたが、編集者経験の乏しい私には桃太郎のよい見出しが分からず、断念した。
 小学校で、警察担当だった頃の話をしたことがある。――早朝や深夜に警察官宅に赴き、時に電柱の陰に隠れて接触を図ったり、尾行して自宅を突き止めようとしたりした。そう説明したうえで、「朝も夜もないような、こういう仕事って何と言う?」と尋ねたら、「ブラック企業」と即答された。笑わせるつもりだったが、誰も笑わない。慌てて「今はそんなことないけどね」と繕った。授業後には「隠れたり尾行したり大変な仕事だと思った」と心配げな感想をいただき、この子は記者を志さないなと嘆息した。自業自得である。

 新聞離れや活字離れが進んでいると言われる。若い世代に対する授業は、新聞の魅力や記者の面白さを自らに問い直す機会でもある。
 口にするのは気恥ずかしいが、私は生まれ変わっても記者になりたいと思っている。薄皮を一枚一枚はがすような作業の末、隠されていた真相が浮かび上がってきたと思える瞬間。万が一訴訟になっても負けてはならないと、どこまでどう書くか細心の注意を払いながら原稿にし、紙面に掲載される時の緊張感。そんな時間を過ごすことができるのが、この仕事の醍醐味だと思っている。
 こんな話を小学生にしても伝わらないだろうし、「生徒」の多くが記者を志しているわけでもない。ただ、自分の身に起きた出来事や自身の思いを他者に伝えたい、逆に他人のことをもっと知りたいという欲求は、小中学生を含めて多くの人が多少なりとも持っているだろう。
 他人の言葉を読み取って理解し、そのうえで自分の考えを言葉にして表現し、思いを伝え合うということなら、私たちの日々の営みにも近そうだ。取材相手の言動を注視し、真意を推し量って裏付けを取る。原稿にするとき小説のような上手な言い回しは不要だが、誤解されない読みやすい文章にはこだわらねばならない。取材対象が表にしたくないケースも含め、その真意や事実が読者に伝われば記者として本意だ。そんな手応えを感じる読者からの反響も、記者の喜びの一つといえる。

 取材力と文章力の向上に近道はあまりないだろうが、多少のコツはありそうだ。芸のない私にとって、面白い「出前授業」への近道もなさそうだが、これにはコツはあるのだろうか。コツコツ内容を充実させるしかないのか。記者の仕事と新聞の面白さが分かりやすく伝わる授業を目指し、これからも試行錯誤が続きそうだ。

「記者の面白さって」麻生幸次郎・毎日新聞和歌山支局長【2018年2月】

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